昔からある言い伝えや
ことわざには根拠があるものです。

「見て見ぬふり」

実際に見ても、
見なかったように振る舞ったり、
とがめずに見逃すという意味があります。

「見て見ぬふり」は
悪いシーンで使うことが多くて
良いイメージがありません。

例えば、

路上でガラが悪い人に
絡まれている女性を見ても見て見ぬふりをする。
というシーンは、すぐイメージできます。
 
これはどうでしょう。

八百屋さんの店先で
本当に食うに困っているように見える人が
店先に出しているリンゴを盗んだが
見て見ぬふりをしている店主。

後者のようなシーンは良い話ですが、
このようなシーンは滅多にありません。

世の中の出来事を見た際、
対局の受け取り方や、同じものでも
感じ方が違うということを少しお話します。

 

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上に高層ビルの写真が並んでます。

左は地上から見上げた写真と
右はビルから地上を見下ろした写真です。

この二つの高層ビルは、見てる場所によって
随分、違うイメージが湧きませんか。

見上げた高層ビルは威風堂々とし、
どこか優美で偉大な憧れ感がありますが、
ビルにはあなたの存在はなく
客観的に観てしまいます。

反対に、ビルから見下ろした写真は
高揚感とか恐怖感とか、まるであなたが
ビルの中に居るかのように感じませんか。

 
今度は違うシーンです。

満席の電車で座席に座っていると
私の前にお腹が大きい妊婦さんが立っていました。
いつまでも席を譲らない私を見て
他のお客さんはどう思うでしょう。

私が杖を持っている高齢者ならまだしも、
どう見ても私は高齢者には見えず、
身体がガッシリした普通のおじさんです。

そんな私を見て、
「席を譲らない非常識な人」と
他のお客さんはそう思うでしょうね。

でも、私は持病のメニエル病が出て
座っていても目眩がし、席を立とうものなら
その瞬間、倒れてしまう状態です。

立っている妊婦さんに同情し
見て見ぬふりをしているかのように
平然と座っている私が悪者に観えるのは
仕方がありません。

しかし、
他のお客さんが少し視点を変えて、
注意深く私を観察したとしたら、
私の体調の異変に気付くかも知れません。
 

これは仮想シーンですが、
第三者には双方の状態がよく観えるので
ジャッジできるのですが、それが当事者になると
まったく観えてこなくなります。

私を含めて、多くの人は
自分の領域で出来事をジャッジします。
それ自体は自然なことですが、
  
世の中の出来事には
必ず複数の事由があります。

もしも、怒りや不満を感じた時、
一歩下がって俯瞰して観察すると
違うものが観えてくるかも知れませんね。

 


 

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