小学生の頃、
友だちに聞いたことがあるんです。

絵を描いている時の話で

友だちが描いていた空の色は
自分が見ている色と同じかなぁと思って

友だちに、
空の色に使っているのは

何色のクレヨン?

友だちは水色と答えたし、
自分も同じ答えなんだけど。

友だちの頭の中は分からないので
友だちの水色は自分の水色と同じなんだろうか、、

 
つまり、自分が感じている感覚や色、形などが
本当に他者も同じだろうかと感じたわけです。 

 

例えば、私が見ている赤色は、
他者は別の色で認識しているのではないだろうか。

だって自分が認識している赤色を、
他者が同じ赤色に認識していることを
証明することができませんからね。 
 

解りにくいかもしれませんが、

私の赤色は他者にとって青色かも知れないということです。
これはどう説明しても誰もが理解不能だと思います(笑) 

だって私自身も頭がこんがらがっていますからね。

 

こんなことを考えていると、

自分が居る世界は現実なのかとか
四次元ポケットは本当にあるんだろうかとか

無限に考えが広がって
いつの間にか空想が得意な子供になってました。

 

今、だったら、少しは説明できます。 

人は周りの膨大な情報のほんの一部を、
削除したり歪曲したり一般化し、
それを自分なりに解釈して小さな現実を創りだしている。

これが自分の現実のようですね。

人間のように言語ツールをもってしても
自分が考えている数%しか相手に伝えることができない。
歯がゆいですが、これも現実でしょうね。 

 

話は変わりますが、

 

私がメールで相手に伝える際、
誤解が起こらないような文章を考えるので
どうしても長文になることが多いです。

中学、高校生のLINEの会話の流れを友人に聴いたところ
単語の羅列や隠語、省略語などが使われているそうです。

 

これは隠語ではありませんが、

文脈によって「何でくるの」という言葉の意味には
「どのような交通機関で来るの?」という意味にもとれるし
「どうしてあなたが来る必要があるの?」 という意味にもとれます。

このような誤解はたまにあります。

 

自分が何を伝えたかではなく、
相手がどう理解したかが大切ですね。