人はたまに
他人のせいにすることがあります。

 

でも、なにか問題が生じた時、
たいてい双方に原因がある場合が多いです。

分かりやすい例が交通事故。

交通事故は過失ゼロというのは
ほとんどない(実際にはまれにある)ので
原因の大きさを「過失相殺」という方法で決定します。

 
しかし、過失相殺は
あくまでも民事上の問題解決であり、
双方の感情がおざなりになるので
「しこり」として残ります。

 

その時は解決したように思っていても、
「しこり」になっているものは
先で形を変えて出てきます。

 

しこりに蓋をしても
潜在意識の中では沸々と
煮えたぎっているかもしれません。
 

 

こんなことがありました。
 
電車に乗っていると、
大声で泣いている赤ちゃんがいます。
その赤ちゃんをなだめているお母さんがいます。

その光景を見て
微笑む高齢の女性がいます。

眉間にしわをよせて
チラチラと赤ちゃんを見ている
中年の会社員がいます。

 
それらを観察している私がいます。

 
同じように
「赤ちゃんが泣く」光景を見ているのに
想いはそれぞれ。
 

自分と関わりのない人のことでも
その人の気持ちを理解しようとします。 
 
特に自分と共通点があったりすると、
その気持ちはさらに強くなります。 
 

怪我をしている人を見ると
「痛いだろうなぁ」と同情し、
 
路上に倒れている人を見ると
声をかけないまでも、
警察に連絡したりすると思います。
 

なのに、

最近の報道を見ていると
人同士が傷つけあってとても寂しいですね。

これらは、人の中にある
「しこり」が増幅されて出てきているように
思えてならないんです。

 

しこりは肩こりと似ています。
酷くならないうちにもみほぐす方が良さそうですよ。