私は中学生の頃から人間の脳に
とても興味をもっていました。
人間はどうして自動で動くのだろうかとか、
同じような構造で何故、個性があるのかとか、
そのせいか中学生の時、心理学の本を
図書館に行って読んでいた記憶があります。
今考えると建築も歴史やデザインより
環境や共通心理の方を深く勉強しました。
近年、脳科学ブームになる前から
共通心理学を店舗デザインに取り入れていたことが、
現在の「住環境習慣コンディショニング」に
結びついたような気がします。
早い話、
習慣を変えるのは脳を騙すことから始まります。
脳の性質を知れば、
悪習感に良習慣を上書きすることができます。
と言っても
パソコンのように悪習感が
消えてなくなるわけではありません。
なくならないから、油断すると、
悪習感が顔を覗けるのです。
そう、記憶と言えば、
私のお袋の認知症の症状を観ていると、
人は何故、記憶しなければならないのか
よく理解できます。
彼女の場合、1分前に話したことが
記憶にないことがあります。
普段、気になっていることや
不安なことを、再三、質問してきます。
答えてもすぐに忘れるので
面倒くさくなり、いい加減に答えたり、怒ったりすると、
認知症の人は感情の動きに敏感なので
怖がって自分に閉じこもります。
お袋はこんな言葉をよく言います。
「アホになってしもうた」
「死んだほうがええ」
自分が何のために生きているのか
分からなくなるのでしょう。
記憶というのは
良いことも悪いことも一定期間、
留めておかないと、行動の整理整頓ができません。
彼女は、生きる目的を理解してないので、
何のために毎日、食事をし、何故、他人の
ヘルパーさんが家に出入りしているか納得していません。
記憶がなくなるということは
自分が生きる意味さえ解らなくなります。
生活の流れによどみができたり、リズムが狂うと、
奈落の底に落ちるような不安が湧きます。
私たちが生きている意味は、
死にたくなるくらい悲しいこと、
自分だけが何故こんなに不運なんだろうと卑屈になること
楽しくて楽しくてこんな時間が永遠に続けばいいと思うこと
何万通りの様々な出来事から目をそらさず、
湧き出る感情を素直に受け入れ、向き合い、
一つひとつを記憶に留めて積み上げていくこと
私がもし、動けない身体になったとしても、
この記憶があれば生き続けられそうな気がしています。