一昔前の日本の季節は
四季を通じて一定のものでしたが、
今は異常気象とやらで、日々変化してますね。
しかし、
時代は変わっても、
昔から日本人が大切にしている
基本的な生活習慣や美意識は変わりません。
建物にも地域の風土にあった
適応の仕方があります。
異常気象が多いと言っても
どこかで自然と折り合いをつけることを
考えなければなりません。
しかしながら、
現在の住まいは閉じ込める
つまり遮断する構造になってきています。
どこかの国からの汚染物質の飛散や、
高温多湿の気候になりつつあることを
考えると仕方がないのかもしれませんが、
自然エネルギーを利用する観点から見ると
諸刃の剣のようです。
空気が澄み切った爽やかな季節には
思いっきり窓を開けたくなりますよね。
風通しが良く、燦々と太陽光は入ってくる住まいは
精神的にも健康で寛げる空間です。
ところが、遮断を中心に考えた住まいは
風通しや採光は法規制の範囲。
地域や季節によって
風の向きや採光は変わりますが、
そこに重きを置いてないので、
いざ、風を通そうと窓を開放しても
風の通りが悪く、結露した湿気が抜けない。
日本古来の風土にあった生活習慣は、
いつの頃からか、建物構造と共に、
閉鎖的になり、ご近所と関わることも少なくなって
人間関係が希薄になったように思います。
住まいの間取りも変わりました。
どこの家にも普通にあった和室はなくなり、
生活はリビングが中心。
しかし、家族が集まるリビングとは名ばかり
笑い声がする家族団欒は遥か昔のこと。
これからお伝えすることは
数百年前に書かれた
「徒然草」の一節から引用しています。
家の作りやうは、夏をむねとすべし。
冬は、いかなる所にも住まる。
暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり。
深き水は、涼しげなし。
浅くて流れたる、遥かに涼し。
細かなる物を見るに、
遣り戸は、蔀の間よりも明し。
天井の高さは、冬寒く、燈暗し。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし」
(家は夏の住みやすさを優先しなさい)
「遣り戸は、蔀の間よりも明し」
(扉より引き戸の方が開放的)
この一節は建築を学んでいると
よく出てくる話です。
これを読むと、まるで
吉田兼好さんは現代の住まいを
予言していたかのようです。
例え、気候や生活が変わっても、
日本人の中に培われたアイデンティティーは
変わらないように思いますが、
どうでしょうか。